梅田雲浜
Umeda Unppin

 梅田雲浜 1
 梅田雲浜 2
 梅田雲浜 3 梅田雲浜 4
 梅田雲浜 5 梅田雲浜 6
 梅田雲浜 4
作家名
梅田雲浜 うめだ うんぴん
作品名
詩書
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 山中信天翁箱
本紙寸法30.7×128.8
全体寸法43.7(胴幅)×207p
註釈

山中信天翁
文政5年(1822)〜明治18年(1885)

碧海郡棚尾村(愛知県碧南市)に生まれる。名、献。字、子文。別号、静逸。篠崎小竹、斉藤拙堂の門に入り経史を修める。梁川星巌、頼三樹三郎、梅田雲賓ら勤王の志士と交わり国事に奔走、安政の大獄では山城国愛宕郡修学院(京都)に身を隠し難を逃れる。維新後、奥州の石巻県知事、登米県知事および民部大丞の官職を歴任。晩年は隠棲し書画を多く残す。

妻臥病床児叫飢 妻は病床に臥し児は飢えを叫ぶ
挺身直欲当戎夷 身を挺して直ちに戎夷に当たらんと欲す
今朝死別與生別 今朝死別と生別と
唯有皇天后土知 唯皇天后土の知る有るのみ

     雲濱

妻は病臥し、子はお腹が空いたと泣く
しかし、私は今すぐ身を挺して攘夷に奔走せねばならぬ
今朝の別れが死別となるか生き別れとなるか
それは唯だ天神地祇だけがご存知の事だ

梅田雲浜は、安政元年(1854)9月、ロシア艦隊が大阪湾に侵入すると、十津川の郷士たちとこれを襲撃するため、病床の妻子を残し家を出ます。この頃の生活は貧困を極め、妻と長男を相次いで亡くします。詩はこの当時の心境を詠んだものです。