丹羽盤桓子
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丹羽盤桓子1
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作家名
丹羽盤桓子 niwa bankansi
作品名
滕王閣序
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 合箱
作品寸法29.6×123.8㎝
全体寸法40.2×182㎝
註釈

王勃

650年(永徽元年)~ 676年(上元3年)

中国唐代初期の詩人。字、子安。「初唐の四傑」の一人。 絳州竜門(山西省河津市)の出身。祖父の王通は隋末の高名な儒学者で、祖父の弟・王績も詩人として知られた。幼くして神童の誉れ高く、664年に朝散郎となり、ついで高宗の子の沛王・李賢の侍読となってその寵を受けたが、諸王の闘鶏を難じた「檄英王鷄文」を書いて出仕を差し止められ、剣南(四川省)に左遷された。かく州(河南省霊宝市)の参軍となったときに罪を犯した官奴を匿いきれなくて殺し、除名処分にあった。この事件に連座して交趾の令に左遷された父の王福時を訪ねる途中、南海を航行する船から転落して溺死した。著に『王子安集』16巻のほか、民国・羅振玉が編集した『王子安集佚文』1巻と、日本に伝わる佚文として、正倉院の『王勃集残』2巻がある。 〈ウィキペディア(Wikipedia)から引用〉

滕王閣
滕王高閣臨江渚 滕王の高閣 江渚に臨む
佩玉鳴鸞罷歌舞 佩玉鳴鸞(はいぎょくめいらん)歌舞罷みぬ
畫棟朝飛南浦雲 画棟 朝に飛ぶ 南浦の雲
珠簾暮捲西山雨 珠簾 暮に捲く 西山の雨
閑雲潭影日悠悠 閑雲 潭影 日(ひび)に悠悠
物換星移幾度秋 物換り星移り 幾度の秋ぞ
閣中帝子今何在 閣中の帝子 今 いずくにか在る
檻外長江空自流 檻外(かんがい)の長江 空しく自ら流る

滕王の建てたこの楼閣は渚の辺にある。当時は佩玉(帯に着ける玉)や車に付けた鸞(おおとり)の鈴をならして貴人達が集まって、華やかに歌舞が行われたのであろうが、今は昔のことである。美しく画かれた棟木には毎朝南浦の雲が飛び交い、夕べには朱の簾が西山の雨を眺めんと巻き上げられたことであろう。静かに流れる雲、満々と水を湛えた淵に映える光は、日毎にのどかであるが、万物は移ろい歳月は流れ、あれから何年が経ったことか。この高殿にいた王子は今は何処なのか。手すりの向こうの長江は空しく流れるばかりでる。 〈ウィキペディア(Wikipedia)から引用〉