豊田毒湛 Toyota Dokutan

天保11年(1840)〜大正6年(1917)

美濃祖父江村(岐阜県瑞穂市)に生まれる。名、匝三。高源室と号した。8歳で美濃伊自良村の東光寺に入り得度。18歳より諸国を旅し、永源寺の海洲、梅林寺の羅山元磨、正眼寺の雪潭紹璞、達磨寺の長沙、梅谷寺に端道、徳源寺の鰲巓道契に参じる。明治11年、美濃八百津の大仙寺に住し、同寺の子院臨江軒に隠棲する潭海玄昌に印可を受ける。明治14年、潭海玄昌に伴って美濃虎渓僧堂に移り、明治18年、潭海玄昌の後を継ぎ虎渓僧堂師家に就任。大仙寺、虎渓山の伽藍復興、南禅寺の法堂再建に尽力する。明治29年、南禅寺派管長、明治42年、妙心寺管長。

豊田毒湛 棒画賛
棒画賛

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