松本楓湖 Matsumoto Fuko

天保11年(1840)〜大正12年(1923年)

常陸国河内郡寺内村(茨城県稲敷市寺内)に生まれる。本名、敬忠。初号、永峨。父、宗庵は漢方医。嘉永6年(1853)14歳の時に江戸へ出て、鳥取藩の御用絵師沖一峨に入門。安政2年(1855)、一蛾没後、佐竹永海に入門。その後、尊皇運動に転じ、勤皇画家として知られた。元治元年(1864)、天狗党の乱が起きるとこれに参加、幕府軍に敗れて一時郷里に蟄居する。維新後、歴史画の菊池容斎に師事。以降、楓湖と号した。明治28(1895)、第4回内国勧業博覧会に『蒙古襲来』『碧蹄館』を出品。明治31年(1898)、日本美術院の創立に参加。翌年より審査員となる。大正8年(1919)、帝国美術院会員。主宰した画塾安雅堂から、今村紫紅、速水御舟ら多くの俊英を輩出した。

松本楓湖 雪月花三幅対
雪月花三幅対
武者小路実篤 源頼朝挙兵破れ潜行図(想像)
源頼朝挙兵破れ潜行図(想像)

画像をクリックしてください