土井ゴウ牙 Doi Gouga

文化14年(1812)〜明治13年(1880)

津藩儒医土井篤敬の次男として生まれる。名、有恪。字、士恭。通称、幾之輔。別号、松径。兄の没後12歳で家禄190石をつぐ。藩儒川村竹坡、斎藤拙堂に学び、藩校有造館助教、講官となり、弘化2年「資治通鑑」校訂(有造館版資治通鑑)をおこなう。明治2年、督学となる。経学は清朝考証学を好み、歴史地理にも通じる。紀州高野山、僧大鵬の描いた墨竹巻物を研究、詩文、書画も長じた。

土井ゴウ牙
骸骨三體図

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