愚堂東寔 Gudou Toushoku

天正5年(1577)〜寛文元年(1661)

美濃国伊自良村大森(現岐阜県山県市)に生まれる。15歳の時、同村、東光寺の瑞雲宗呈について得度。19歳より諸国を行脚。29歳の時、播州三友寺の南景宗岳のもとで見性。31歳の時、妙心寺聖沢院庸山景庸の法を嗣ぎ愚堂の道号を与えられる。この頃、臨済禅の正法復興を目指し、雲居希膺、大愚宗築らと共に全国を行脚し各地の宗匠に歴参する。38歳の時、美濃瑞巌寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)に初住。慈渓寺(大垣市)、正伝寺(岐阜県八百津町)、大仙寺(岐阜県加茂郡八百津町)など復興し、豊後養徳寺(大分県杵築市)、伊勢中山寺(三重県伊勢市)、江戸正燈寺(東京都台東区)、山科華山寺(京都市山科)を開創した。万治2年(1659)、妙心寺開山三百年遠諱大法会で導師をつとめる。門下に一絲文守、至道無難など近世禅宗史にその名を残す傑僧を数多く輩出し、ことに、至道無難の孫弟子に白隠が出て、愚堂の名を不朽なものとした。寛文元年(1661)、入寂の翌年、朝廷から大円宝鑑国師の国師号を賜る。

愚堂東寔 詩書
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