隠山惟琰 Inzan Yuien

宝暦4年(1754)〜文化14年(1817)

越前国伊野原村(福井県勝山市猪野毛屋付近)の白山神社神職の家に生まれる。9歳の時、美濃国洞戸村(岐阜県関市洞戸市場)の興徳寺の老山弁愚について出家。16歳まで興徳寺で修行し、17歳で武蔵国永田の宝林寺月船禅慧に参禅。26歳の時、月船を離れ諸国を行脚。その後、洞戸村の梅泉寺に入り、39歳の時、峨山慈棹に参禅し大悟、41歳で峨山の法を継ぐ。その後、美濃の梅竜寺(岐阜県関市)を経て、堅相寺趾(岐阜県山県市)に草庵を結び、播磨の鹿谷に隠棲するが、請われて美濃の瑞龍寺(岐阜市)の再興に尽力する。 白隠会下、峨山の法を継ぐ、隠山、卓洲は、峨山下の二甘露門といわれ、その後の臨済禅のほとんどが、その法系に属する。

隠山惟琰 心
隠山惟琰 出山釈迦図(賛・隠山、画・不明)
出山釈迦図(賛・隠山、画・不明)
隠山惟琰 本来無一物
本来無一物

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