岩倉具視 Iwakura Tomomi

文政8年(1825)〜明治16年(1883)

京都に生まれる。幼名周丸。号対岳。権中納言堀河康親の次男として生まれる。岩倉具慶の養嗣子。嘉永6年(1853)歌道を通じて関白鷹司政通に接し、安政元年(1854)孝明天皇の侍従となる。安政5年(1858)老中堀田正睦の日米修好通商条約勅許の奏請に対し反対派公卿を集結させ阻止。万延元年(1860)和宮降嫁が奏上され、公武合体派として和宮降嫁を推進。文久2年(1862)「四奸」の一人として尊皇攘夷派から糾弾され、慶応3年(1867)まで京都洛北岩倉村に幽居。以後、討幕派へと転換し大久保利通らと王政復古の実現に貢献する。維新後、新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめ、明治4年(1871)、特命全権大使として使節団を伴い欧米視察。大日本帝国憲法制定に尽力し、皇族、華族の保護に力を注ぐ。明治16年(1883)7月20日、59歳で没。国葬。没後贈正一位、太政大臣。明治新政府最高実権者の一人。

岩倉具視
無題歌一首

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