内藤丈草Naito Joso(Naitou Jousou)

寛文2年(1662)〜宝永元年(1704)

尾張犬山藩士禄百石の内藤源左衛門本守の長男として生まれる。幼名林之助、のち庄之助。通称林右衛門本常。3歳の時母を亡くし、父はのち再婚。延宝3年(1675)、病のため蟄居した尾張徳川家寺尾土佐守直竜の看護役として父子共仕える。貞享3年(1686)、芭蕉に句を送り指導を乞う。3年後には落柿舎に芭蕉を訪ね入門する。元禄4年(1691)、『猿蓑』に発句十二入集、跋文を記す。元禄7年(1694)芭蕉没。同門の士と遺体を義仲寺に納め、無名庵に留まり三年の心喪に服す。元禄9年(1696)、長等山麓の仏幻庵に移る。元禄13年(1698)、義仲寺の芭蕉七回忌追善俳諧興行に参加。亡母三十七回忌墓参を兼ね犬山に帰郷。その後美濃各地を巡遊。元禄14年(1701)、閉関禁足三年の誓いを立て、芭蕉追悼に法華経千部読誦と経塚建立を決意する。『諸国翁墳記』執筆。

内藤丈草 四家俳句短冊 双幅
四家俳句短冊 双幅
内藤丈草 俳句
俳句

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