永井荷風 Nagai Kafu

明治12年(1879)〜昭和34年(1959)

東京市小石川区金富町(現文京区春日)に生まれる。母方の祖父は、儒学者の鷲津毅堂。父、久一郎は、内務省の官僚。本名、壮吉。別号、金阜山人、断腸亭主人ほか。高等商業学校(現一橋大学)附属外国語学校清語科中退。明治31年(1898)、広津柳浪に入門。明治32年(1899)、落語家朝寝坊むらくに弟子入り、三遊亭夢之助と名乗る。新聞懸賞小説に入賞する。明治34年(1901)、日出国(やまと)新聞社に入社。小説『新梅ごよみ』を連載するも、9月に解雇される。明治36年(1903)、父の勧めでアメリカに留学、タコマに滞在しハイスクールに通う。明治38年(1905)、父の配慮で横浜正金銀行ニューヨーク支店に勤務。明治40年(1907)、フランスリヨン支店に転勤。明治41年(1908)、横浜正金銀行退職。 『あめりか物語』刊行。明治42年(1909)、『ふらんす物語』を刊行するが発売禁止となる。新橋の芸者富松(本名吉野こう)と恋仲になる。(荷風は腕に「こうの命」と入れ墨をしていた。)『すみだ川』を新小説に発表。明治43年(1910)、森鴎外、上田敏の推薦で慶應義塾大学文学科の教授となる。雑誌『三田文学』を創刊、主宰する。大正元年(1912)、湯島の材木商の娘、斉藤よねと結婚するが、翌年に離婚。大正3年(1914)、新橋の芸妓八重次と結婚するが、翌年に離婚。大正5年(1916)、慶應義塾大学を辞職。昭和12年(1937)、『濹東綺譚』(私家版)刊行。昭和27年(1952)、文化勲章受章。他著書に、『腕くらべ』、『つゆのあとさき』、大正6年(1917)から没年までの日記『断腸亭日乗』など。

永井荷風 枇杷画賛
枇杷画賛

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