岡本かの子 Okamoto Kanoko

明治22年(1889)〜昭和14年(1939)

明治22年、東京の豪商大貫家に生まれる。跡見女学校卒業。兄大貫晶川、その友人谷崎潤一郎の影響を受ける。17歳で与謝野鉄幹、晶子の「新詩社」の同人となり、「明星」「スバル」などに発表。東京美術学校の画学生岡本一平と21歳で結婚。翌年長男太郎誕生。青鞜社より歌集「かろきねたみ」を上梓する。夫婦間の問題や度重なる身内の死により強度の神経衰弱で入院し、療養生活を送る。宗教に救いを求め、親鸞のほか仏教各派を研究し、以後10年ほどは仏教思想家、歌人として活躍する。昭和4年、38歳のとき、一家でパリに遊学。ロンドン、ベルリンに滞在。3年のち、太郎をパリに残し帰国。芥川龍之介をモデルにした小説「鶴は病みき」を川端康成の推薦で「文学界」に発表する。「母子叙情」「老妓抄」「家霊」などを発表。48歳のとき、油壺の宿で脳充血に倒れ、翌年没。死後には「河明り」「生々流転」「女体開顕」などの遺稿が発表された。

岡本かの子 應招兵の家
應招兵の家

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