韓天寿 Kantenju

享保12年(1722)〜寛政7年(1795)

宝暦2年(1752)、池大雅、玉瀾の媒酌人となる。宝暦7年(1757)31歳、はじめて江戸で細合半斎と会う。この頃、韓天寿、青木夙夜(韓天寿の従弟)ともに、松井中川家の江戸店の業務に従事していたと思われる。宝暦10年(1760)34歳、池大雅、高芙蓉と、富士山、立山、白山を紀行。明和元年(1764)38歳、朝鮮通信使一行が京都に滞留したとき、その客館に赴き、自刻の墨帖と書を見せ賞賛される。明和2年(1765)39歳、この年前後に家業から退き、自適の生活に入ったと思われる。明和4年(1767)41歳、浪華客舎で伊孚九を模す。後に画譜刊行(享和3年)。翌明和5年(1768)42歳、浪華客舎で池大雅を模す。後に画譜刊行(享和3年)。安永9年(1779)52歳、『親集帖』十巻完成。寛政6年(1794)68歳、本居宣長が「学問所建設願案」のなかで、韓天寿の収集品の保存を請う。寛政7年(1795)69歳、没して松阪清光寺に葬られる。寛政8年(1796)、青木夙夜により京都鳥部山通妙寺に「故紙塚」建立される。(碑文、細合半斎)

韓天寿 雪中夜景山水図
雪中夜景山水図

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