西山禾山 Nishiyama Kasan

天保8年(1837)〜大正6年(1917)

宇和島藩宇和郡穴井浦(愛媛県八幡浜市穴井)に生まれる。本名、増治。初名、禅鉄。別号、玄節、禅愚。室号、不顧庵。法諱、玄鼓。嘉永2年(1849)、八幡浜大法寺の瓊谷について得度。久留米梅林寺羅山元磨、美濃伊深正眼寺雪潭紹璞、京都相国寺荻野独園に参禅、明治6年(1873)、妙心寺越渓守謙の印可を受け、同年大法寺第18世となる。明治27年(1894)、大法寺境内に退休軒を建て移住。平塚雷鳥、平櫛田中、高村光太郎、三遊亭円朝ら多くの名士が提唱を受けた。 山田無文は禾山について以下のように記した。 「学識禅定共に兼備された禾山禅師の如きは、近世稀有なる大徳と云わねばならぬ。また、関東では東京白山下の南隠、関西では伊予八幡浜の禾山と喧伝され、或時は秋田の仏教界から、或時は東京の禅界から懇請黙し難く、提唱に参禅に講演に寸暇も無い禅師であった。禅師は童子の如く純真であり、下僕の如く謙虚なところがあり、日常酒煙草を喫せず、粗衣粗食枯淡清貧に甘んじ、一生黒衣を以て通された。専ら妙心開山関山国師の行履を欽慕され、物来れば悉く他に施与され、室中寂然として一物の貯えも無かったという。」

著書に、「在家安心鈔」「檀徒日課念誦」「金鞭指街」「般若三昧安心要門」。 「焦和尚」「焦面大鬼王」の異名をとった明治の傑僧。

西山禾山 福生於清約
福生於清約

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