広田弘毅 Hirota Kouki

明治11年(1878)〜昭和23年(1948)

福岡県那珂郡鍛冶町(福岡市中央区天神)に生まれる。父徳平は、農家の息子であったが石屋の養子となり、広田姓を名乗る。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、外務省に入る。欧米局長、オランダ公使、ソ連大使等を歴任。斎藤、岡田内閣外相を経て、二二六事による岡田内閣は総辞職の後、昭和11年1936)2月、内閣総理大臣に就任するが、翌12年1月総辞職。同年6月、第1次近衛内閣で外相に就任。戦後、A級戦犯となり極東国際軍事裁判で文官としてはただ一人死刑となる。

広田弘毅 廓然大公物来順応
廓然大公物来順応

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