広瀬旭窓 Hirose Kyokusou

文化4年(1807)〜文久3年(1863)

豊後国日田郡豆田町(大分県日田市)に生まれる。通称、謙吉。名、謙。字、吉甫。号、初め秋村、後、旭荘、梅とん。 文化14年(1817)、10歳の頃、儒学者であった兄の広瀬淡窓の成章舎で学ぶ。文政6年(1823)福岡の儒医亀井昭陽の亀井塾に入門、都講となるが、文政8年(1925)、郷里に戻り、病床の兄淡窓に替わって淡窓の私塾咸宜園(かんぎえん)経営を助ける。天保7年(1836)、東遊後、大阪堺に塾を開く。以降、江戸に出て一時塾を開くが、大阪に戻り、没するまで大阪を拠点として活動する。著書に、「日間瑣事備忘(録)」(漢文日記)、「 九桂草堂随筆 」など。中国清末の儒者、愈曲園は「東国詩人の冠」と評した。儒者。漢詩人。

広瀬旭窓 詠史七絶
詠史七絶
広瀬淡窓 広瀬旭窓 詩書(双幅)
詩書(双幅)

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