烏丸光広 Karasumaru Mitsuhiro

天正7年(1579)〜寛永15年(1638)

准大臣光宣の子。慶長11年(1606)、参議。慶長14年(1609)、左大弁。猪熊事件(侍従猪熊教利による女官密通事件)に連座し、後陽成天皇より蟄居を命じられる。慶長16年(1611)、後水尾天皇に勅免され還任。元和2年(1616)、権大納言となる。細川幽斎に和歌を学び、古今を伝授されて二条家流歌学を究め、沢庵宗彭、一糸文守に帰依して禅を修める。俵屋宗達、本阿弥光悦など文化人と交流し、宗達作品に多く賛を書く。その書風は、寛永の三筆とならび称される。紀行文に『あづまの道の記』『日光山紀行』『東行記』、歌集に『黄葉和歌集』、仮名草子に『目覚草』などがある。

烏丸光広
和歌懐紙

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