井原西鶴 Ihara Saikaku

寛永19年(1642)〜元禄6年(1693)
大阪鑓屋町(現大阪市中央区鎗屋町)の商家に生まれる。本名、平山藤五。別号、鶴永、二万翁、西鵬。談林派の西山宗因に俳諧を学ぶ。寛文13年(1673)、大阪生玉社前(現在の生国魂神社、大阪市天王寺区生玉町)で大規模な万句興行を開催し、延宝元年(1673)、『生玉万句』と題して刊行、その序に「耳の底にかびはえて、口に苔を生じ、いつきくも老のくりごと」と、貞門と対決すると書き記す。延宝5年(1677)、生玉本覚寺で一昼夜独吟千六百句を興行する。その一昼夜かけてできるだけ多くの句を詠む興行スタイルは、自ら「矢数俳諧」と命名、上方における談林俳諧の旗揚げとなるとともに、俳諧師としての地位を築く。天和2年(1682)、小説『好色一代男』を刊行。これを始まりに、浮世草子(大衆的な娯楽小説)は大流行し、西鶴はその第一人者となる。

井原西鶴 八重霧は
八重霧は

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