増山雪斎 Masuyama Sessai

宝暦4年(1754)〜文政2年(1819)

伊勢国長島藩主増山正贇(まさよし)の長子として江戸に生まれる。諱は正賢(まさかた)。別号、巣丘隠人、石顛道人、顛々翁、君選、括嚢小隠、玉園、潅園、雪旅、長洲、愚山、松秀園、蕉亭など。父の死去にあたり、安永5年(1776)23歳の年に遺領二万石を襲封。享和元年(1801)48歳、家督を長子正寧に譲って江戸巣鴨の下屋敷に退き、自娯自適の生活に入る。雪斎は画家としても知られ、江戸時代の画僧雲室は、画論『雲室随筆』(雲室)で、「風流抜群」と評し、金井烏州は画論『無声詩話』で、「風流自在」の人と評した。

増山雪斎 墨梅図
墨梅図

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