大川周明 Okawa Shumei

明治19年(1886)〜昭和32年(1957)

大川周明略年譜

明治19年(1886)
12月6日、山形県飽海郡西荒瀬村(現在の酒田市)に生まれた。
明治34年(1901)
マトン神父にフランス語を学び、宗教に関心を抱き始める。
明治36年(1903)
11月、『週刊平民新聞』を購読し、社会主義の影響を受ける。
明治37年(1904)
2月、日露戦争起こる。3月、荘内中学卒業。
明治39年(1906)
10月、栗野事件で五高生を扇動する。
明治40年(1907)
7月、第五高等学校卒業。年末から翌年4月まで、ノイローゼ・肺結核治療のため伊豆大島にて静養。
明治43年(1910) 7月、日本教会に入会する。
明治44年(1911)
7月、東京帝国大学文科大学卒業(宗教学専攻)。
明治45年(1912)
春頃、『列聖伝』編纂のため、日本史研究を始める。9月、乃木大将殉死。
日本人としてのアイデンティティーを自覚する。
大正2年(1913)
夏、ヘンリー・コットンの『新インド』を読み、イギリスの植民地統治に憤慨。
アジア問題に関心を向け始める。
大正3年(1914)
2月、『宗教の本質』(翻訳)。5月、父周賢死去。7月、第一次世界大戦始まる。
11月、『エミール』(翻訳)。
大正4年(1915)
秋頃、インド人革命家グプタと出会う。11月、インド人主催御大典祝賀会。
この年、全亜細亜会を結成し代表となる。
大正7年(1918)
5月、満鉄東亜経済調査局に嘱託として採用。8月、米騒動起こる。
10月、老壮会結成。
大正8年(1919)
2月、人種的差別撤廃期成会運動の実行委員となる。8月、猶存社結成。8月23日、上海に北一輝を訪問。9月、満鉄職員となり、11月、東亜経済調査局編輯課長となる。
この年2月から約1年間、リシャール夫妻と同居。
大正9年(1920)
4月、拓殖大学教授を兼任する。12月、日印教会から退会。宮中某重大事件起こる。
この年、初めて陸軍に接触する。
大正10年(1921)
8月、『第十一時』(翻訳)。10月、『宗教原理講話』、『日本文明史』。10月から12月まで、蘭領インドネシア視察。
大正11年(1922)
3月、魂の会結成。春頃、社会教育研究所同人となる。7月、『復興亜細亜の諸問題』。
大正12年(1923)
2月、ヨッフェ来日。4月、東亜経済調査局調査課長となる。9月、関東大震災起こる。
大正13年(1924)
5月、『永遠の知慧』(翻訳)。アメリカ協議で排日植民法成立する。『復興印度の精神的根拠』。
大正14年(1925)
2月、行地社創立。日ソ国交回復。2月16日、広瀬兼子と結婚する。
4月、『月刊日本』創刊。大学寮創立。安田共済事件で、北一輝と決別する。10月、『亜細亜・欧羅巴・日本』。
大正15年 昭和元年(1926)
2月、『日本及日本人の道』。5月、『人格的生活の原則』。8月、「特許植民会社制度の研究」で法学博士の学位を受ける。
昭和2年(1927)
2月、『特許植民会社制度研究』。『清河八郎』。4月、東亜経済調査局主事となる。
5月、『日本精神研究』。6月、『中庸新註』。
昭和3年(1928)
6月、張作霖爆事件起こる。9月、張学良と会見。
昭和4年(1929)
7月、財団法人東亜経済調査理事長となる。11月、『国史概論』。
昭和5年(1930)
1月、ロンドン軍縮会議開催。『日本的言行』。
昭和6年(1931)
3月、橋本欣五郎らとクーデターを企てる。9月、満州事変起こる。『国史読本』。
10月、再度クーデターを企てるが、未遂。
昭和7年(1931)
2月、神武会を結成し合法的大衆運動に乗り出す。3月、満州国建国。5月、 五・一五事件起こる。6月15日、逮捕される。
昭和8年(1933)
3月、国際連盟脱退。
昭和9年(1934)
2月3日、東京地方裁判所判決、懲役15年。11月9日、東京控訴院判決、禁錮7年。
11月12日、保釈される。
昭和10年(1935)
2月、神武会解散。6月、『佐藤信淵集』。10月24日、大審院宣告、禁錮5年。
昭和11年(1936)
2月、二・二六事件起こる。6月16日、下獄。
昭和12年(1937)
7月、蘆溝橋事件起こる。8月、『日本文明概説』(『国史読本』の中国語訳)。
北一輝死刑。10月13日、仮出所許される。
昭和13年(1938)
4月、法政大学大陸部長となる。5月、東亜経済調査局付属研究所(大川塾)を開設し、所長となる。この年から、日中戦争の終結をめざして、対米工作を行う。
昭和14年(1939)
7月、『日本二千六百年史』。ベストセラーとなるが、秋頃から不敬な記述があるとして問題となる。8月、アメリカ合衆国ネバダ州にPan Pacific Trading and Navigation Company(汎太平洋通商航海会社)設立。
昭和15年(1940)
3月、南京に汪兆銘政府成立。同月、『日本二千六百年史』問題が国会で取り上げられる。 9月、北部仏印進駐。日独伊三国同盟締結。10月4日、汎太平洋通商航海会社が60万バーレルの対日石油輸出許可を得る。11月、紀元二千六百年式典挙行される。
昭和16年(1941)
1月、『亜細亜建設者』。2月、汎太平洋通商航海会社が、アメリカ合衆国のThe Metal and Ore Corporation (メタル&オア社)とタングステン売買契約。3月、タングステン輸出促進のため、中国出張。ガソリンとタングステンのバーター契約成立せず。10月、『近世欧羅巴植民史』(1)。12月、太平洋戦争始まる。12月14日から25日まで、「米英東亜侵略史」と題してラジオ講演。この年、『日本二千六百年史』の中国語訳出版される。 昭和17年(1942)
1月、『米英東亜侵略史』。8月、『回教概論』。
昭和18年(1943)
8月、『大東亜秩序建設』。11月、大東亜会議開催。
昭和19年(1944)
5月、『佐藤雄能先生伝』。6月、『新亜細亜小論』。
9月、A History of Anglo-American Aggression in East Asia (『米英東亜侵略史』の英訳)。
昭和20年(1945)
4月、『新東洋精神』。8月、終戦。12月12日、A級線犯容疑で逮捕される。
昭和21年(1946)
5月3日、東京裁判第1回公判廷で東条英機の頭をたたき、精神障害のため入院。11月、日本国憲法発布。12月、母多代女死去。
昭和22年(1947)
3月、病状が快方に向かい、コーランの翻訳を始める。
昭和23年(1948)
12月24日、不起訴処分となり、30日、退院。
昭和25年(1950)
2月、『古蘭』(翻訳)。
昭和26年(1951)
10月、『安楽の門』。
昭和28年(1953)
農村再建をめざして、行脚を始める。
昭和32年(1957)
12月24日、神奈川県愛甲郡愛川町中津の自宅にて死去。

大塚健洋の『大川周明 ある復古主義者の思想』(中公新書)より

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