藤本鉄石 Fujimoto Tesseki

文化13年(1816)〜文久3年(1863)

備前国御野郡東川原村(岡山市)に生まれる。父は片山佐吉。諱、真金。通称、津之助、学治。別号、鉄寒士、柳間契民、海月浪士、採菊老人、都門売菜翁など。16歳の時、岡山藩軽卒で叔父の叔父藤本重賢の養子となって家督を継ぐ。岡山藩農事掛(用水番)の手代役を勤めるかたわら伊藤花竹について南画を学ぶ。天保11年(1840)、脱藩して京都へ出て、国学、陽明学、天心独明流の剣術、長沼流の軍学を学び、多くの志士と交わる。安政元(1854)年、伏見奉行内藤正繩に請われ、伏見京町の言志塾(碧梅寒店)で学問を教授する。文久2年(1862)、島津久光の率兵上洛を機に、平野国臣、清河八郎、吉村虎太郎らと挙兵の画策に参加するが、捕らえられて大阪薩摩藩邸に軟禁される。翌文久3年(1863)、天誅組を土佐の吉村寅太郎、三河の松本奎堂らと中心となって組織し、大和五条に挙兵するが、幕府側に制圧され、鷲家口(奈良県吉野村)で戦死する。

藤本鉄石1
山水図

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