大久保利通 Okubo Toshimichi

文政13年(1830)〜明治11年(1878)

薩摩国鹿児島城下高麗町(鹿児島市高麗町)に琉球館附役の薩摩藩士大久保利世の長男として生まれる。幼名、正袈裟。幼い頃に加治屋町に移り住み、郷中や藩校造士館で西郷隆盛、海江田信義らと共に学問を学ぶ。天保15年(1844)15歳で元服し、通称を正助、諱は利済と名乗り、後に利通と改名。弘化3年(1846年)、藩の記録所書役助として出仕。お由羅騒動(藩主の世継ぎ問題)で父利世に連座して罷免され謹慎処分となるが、島津斉彬が藩主となると復職し、藩内組織の精忠組の領袖として活躍する。安政5年(1858)、斉彬が死去し、島津茂久が藩主になるとその父島津久光が藩政に実権を掌握。利通は御小納戸役に抜擢され、島津久光のもとで藩内尊攘派を押さえ公武合体運動を推進する。慶応2年(1866)、西郷隆盛とともに薩長同盟を成立をさせ討幕運動の中枢で活躍する。維新後は参議に就任し、版籍奉還や廃藩置県を推進する。明治4年(1871)、特命全権副使として岩倉遣外使節団に随行。明治6年(1873)、西郷隆盛と征韓論で対立、西郷を始め板垣退助ら征韓派参議を下野させるとともに、参議兼内務卿となり政権を掌握。地租改正、殖産興業の推進など、重要施策を実行した。明治11年(1878)、石川県士族島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一および島根県士族の浅井寿篤の6名によって紀尾井坂(千代田区紀尾井町)で刺殺される。

大久保利通 詩書
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