出口王仁三郎 Deguchi Wanisaburou

明治4年(1871)〜 昭和23年(1948)

亀岡町穴太村(京都府亀岡市曽我部町穴太)の農家で生まれる。幼少時代、神童・八ツ耳と言われるほど特別な霊能力を持つ。祖母宇能は、国学者で、『言霊或問』『言霊聞書』を著した中村孝道の妹。明治13年(1874)、穴太寺の境内にある偕行小学校に入学。明治16年(1883)、教師とのトラブルで退学するが、相手の教師は免職となり、一時、同小学校の代用教員となる。明治17年(1884)、丁稚奉公に出る。油醤油売りや京都までの荷車引きに従事する。明治25年(1892)、艮の金神(国常立尊)が開祖出口なおに帰神し、綾部で大本開教。開祖出口なおの記した「筆先」は27年間で1万巻におよぶ。明治26年(1893)、京都船井郡園部町(南丹波市)で獣医をしていた従兄の井上直吉のもとに住み込み、獣医学や牧畜の勉強をする。その傍ら、近くの南陽寺に住していた国学者岡田惟平翁に和歌を学ぶ。明治31年(1898)、郷里の霊山・高熊山にて1週間の霊的修行を行う。霊界の秘奥をきわめ、天眼通、天耳通、天言通、宿命通、自他心通などの高度な霊能力を体得。救世の大使命を自覚。「西北の方角をさして行け」との神示を受ける。(愛善苑のHP年表では、京都府綾部に出向き金光教の布教所を作って筆先を出していた開祖出口なおと会うが、翌々日綾部を去ると記述。 )明治32年(1899)、大本入信。同年、「金明会」発足。大本の神紋は十曜と定まる。同年、「金明霊学会」を組織。(愛善苑のHP年表では、金光教から離脱した開祖出口なおと「金明霊学会」を設立するとある。)明治33年(1900)、開祖出口なおの五女出口すみ子と結婚。明治41年(1908)、「金明霊学会」を「大日本修斎会」に改組。(愛善苑のHP年表では、明治44年(1911)、金明霊学会を「大日本修斎会」と改称するとある。)明治43年(1910)、開祖出口なおと養子縁組し、名を出口王仁三郎と改める。大正2年(1913)、「大日本修斎会」会則を改め大本教則を発表、「大本(たいほん)教」と称す。大正5年(1916)、「大本教」を「皇道大本」と改称。大正6年(1917)から開祖出口なおの筆先を『大本神諭』(全7巻)として発表。大正7年(1918)、開祖出口なお死去。大正8年(1919)、亀山城跡を入手し、ここを神教宣布の中心地(天恩郷)とし、発祥の地綾部(梅松苑)を祭祀の中心地として二大聖地を築く。亀岡城址を入手し、“霊国”の移写・神教宣布の中心(天恩郷)とし、発祥の地・綾部を“天国”の移写・祭祀の中心地とし、大本の二大聖地を築く。大正10年(1921)から、高熊山修業の際、見聞した内容を口述した救世の書『霊界物語』(全81巻83冊)を刊行。同年、官憲に検挙され、京都監獄未決監に収監(126日間)される。(第一次大本事件) 同年、「皇道大本」を「大本」と改称。大正11年(1922)、「大日本修斎会」を「大本瑞祥会」に改組。同年、谷口雅春は大本を去り、昭和5年(1930)に生長の家を興す。大正10年(1921)、一審判決、不敬罪で懲役5年の有罪。即日控訴する。大正13年(1924)、二審判決、不敬罪有罪。即日上告する。大正13年(1924)、大阪北区刑務支所に再収監(98日間)。『霊の礎』刊行。昭和2年(1927)、大赦令により上告審で免訴、第一次大本事件解消。昭和8年(1933)、『天祥地瑞』(全9巻)刊行。昭和9年(1934)、『出口王仁三郎全集』(全8巻)、『皇道維新と経綸』刊行。昭和10年(1935)、『王仁書画集(一)』、『惟神の道』刊行。昭和10年(1935)、第二次大本一斉検挙(8道府県72カ所)、官権による弾圧強まる。信徒の検挙は983名に及ぶ。昭和11年(1936)、綾部、亀岡両神苑の土地を町に強制売却。本部建造物を破壊される。昭和15年(1940)、治安維持法違反及び不敬罪で無期懲役。即日控訴する。昭和17年(1942)、第二審判決、治安維持法違反無罪。不敬罪有罪。昭和19年(1944)から翌21年3月にかけて、約3000個の耀わんを制作する。昭和20年(1945)、上告審判決、上告棄却(被告人のうち16名死亡)。同年、大赦令公布により大本事件の不敬罪有罪判決解消。同年、綾部、亀岡の土地、返還される。昭和21年(1946)大本を「愛善苑」として再発足。苑主となる。昭和22年(1947)、『愛善の道』刊行。昭和23年、76歳で死去。

(大本、大本信徒連合会、愛善苑のHPより作成する)

昭和27年(1952)、長女出口直日、が三代教主を継ぎ、教団名を大本に復活させる。平成2年(1990年)、出口聖子(直日の三女)が四代教主就任をめぐって内紛が起き、出口直美(直日の長女)を教主とする「大本信徒連合会」が結成される。また、昭和62年(1987)、「愛善苑」が結成(法人登記)される。「大本」及び、「大本信徒連合会」は、出口なおを開祖、出口王仁三郎を聖師とし、両者を教祖とする。また、「愛善苑」は、教主は置かず、出口王仁三郎を永遠の苑主とする。

出口王仁三郎 大本皇大神
大本皇大神
出口王仁三郎 春麗
春麗
出口王仁三郎 おにさくらく・耀盌(楽茶碗)
おにさくらく・耀盌(楽茶碗)
出口王仁三郎 達磨
達磨
出口王仁三郎 藝術之花
藝術之花

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