垣内右嶙 Kaito Yurin

文政8年(1825)〜明治24年(1891)

飛騨高山の浅井家に生まれる。別号、直道、米舸、晩翠居、樵者、猪鹿居など。高山の地役人、代情(よせ))家の娘と結婚し、代情家の別家、小屋垣内を継ぎ、後に垣内に改める。初め京都に出て、岡本豊彦を訪ね、その後、塩川文麟に入門する。20歳のころ、高山に戻り、高山陣屋御用絵師の待遇を受け、飛騨総社神楽台の鏡天井「龍図」を描く。嘉永4年(1851)26歳ころ、再び京都に出て、岩倉具視に召し抱えられ、太田垣蓮月、富岡鉄斎らと親交を結ぶ。明治4年(1871)46歳ころ、高山に戻り、明治12年(1879)54歳ころ、金沢に移る。画業の傍ら画塾を開く。

垣内右嶙 青緑山水
青緑山水

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