山田正平 Yamada Shohei

明治32年(1899)~昭和37年(1962)

新潟市古町通り4番町に篆刻家木村竹香の次男に生まれる。号に一止、一止道人、幾盦(幾庵)、更生、更生居、更生道人、邵平など。15歳の時に、會津八一から刻印の依頼を受ける。大正3年(1914)、上京し篆刻家山田寒山の許に寄寓。大正7年(1918)、寒山の長女喜美子と結婚、山田姓となる。大正8年(1919)、河井荃廬に随伴し上海に渡り呉昌碩、徐星州の指導を受ける。またこの頃より、小川芋銭に画を学び、篆刻、書のほかに画にもその才能を発揮する。幼少より會津八一の多大な庇護を受け、志賀直哉、谷崎潤一郎、武者小路実篤、堀口大學、棟方志功、中川一政ら多くの文士、芸術家たちに支持された。晩年は日展審査員や東京学芸大学講師になるなど、後進の育成にも尽力した。

山田正平 石印 三顆
石印 三顆

画像をクリックしてください