D-216 細井平洲
Hosoi Heisyu

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 細井平洲 5
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 細井平洲 5
作家名
D-216 細井平洲 ほそい へいしゅう
作品名
山水図
価格
350,000円
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 平洲先生遺墨所載合箱
本紙寸法47.1×130.8
全体寸法67.2×211㎝
作家略歴

細井平洲
享保13年(1728)~享和元年(1801)

尾張国知多郡平島村(愛知県東海市)に農家の二男として生まれる。本姓、紀。名、徳民。字、世馨。通称甚三郎、別名を如来山人。幼年時代から学問に励み、名古屋、京都で遊学の後、17歳で折衷学派の中西淡淵に師事。延享2年(1745)、長崎に遊学し、中国語を学ぶ。宝暦元年(1751)、江戸で私塾嚶鳴館を開く。経世の実践者として優れ、西条藩(愛媛県)、人吉藩(熊本県)、紀州藩(和歌山県)、郡山藩(奈良県)など諸藩に招かれる。明和元年(1764)、後の米沢藩(山形県)の藩主上杉治憲(鷹山)の師として迎えられる。安永9年(1780)、尾張藩主徳川宗睦の侍講となり、尾張藩校明倫堂(現・愛知県立明和高等学校)の初代督学となって藩学の振興につとた。また、藩内各地で廻村講話(講演会)を開き庶民教育にも努めた。著書に『詩経古伝』『嚶鳴館遺稿』『詩経夷考』など。

平洲の教えは、吉田松陰、西郷隆盛らにも大きな影響を与えたといわれた。また、内村鑑三は、その著『代表的日本人』で上杉鷹山を取り上げ、その師、細井平洲を「鷹山の師細井平洲は、名もない身分から責任ある地位に抜擢された。学者であり、高潔の士でもありました。」と記している。

コンディション他

【原文】
壮遊懐昔水雲間
萬里東西往又還
老去回頭如夢寐
無端写出意中山
 平洲

【訓読】
壮遊、昔を懐かしむ、水雲の間。
萬里東西、往(ゆ)き又(また)還(かえ)る
老(おい)去(ゆ)きて、頭(かうべ)を回(めぐら)せば、夢寐の如(ごと)し。
端(はし)無(な)くも、写(うつ)し出(い)だす、意中の山。
 平洲

【語釈】
壮遊―壮年の頃に遊歴したこと。
夢寐―夢を見ている間。寝ている間。
無端―はしなくも。これといったきっかけなく。思いがけず。はからずも。

【訳文】
かつて元気な頃に遊んだ、景勝の地を思い出す。
ずいぶん遠くへ、そしてあちこちに行き来したものだ。
こうして年をとって、思い返してみると、まるで夢を見ていたような気がする。
そんな気持ちの時に、思いがけず、心の中の山水をえがいてみるのだ。

平洲先生遺墨(大正4年)所載。

本紙全体にシミあり。

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