細井平洲 Hosoi Heishu

細井平洲
享保13年(1728)〜享和元年(1801)

尾張国知多郡平島村(愛知県東海市)に農家の二男として生まれる。本姓、紀。名、徳民。字、世馨。通称甚三郎、別名を如来山人。幼年時代から学問に励み、名古屋、京都で遊学の後、17歳で折衷学派の中西淡淵に師事。延享2年(1745)、長崎に遊学し、中国語を学ぶ。宝暦元年(1751)、江戸で私塾嚶鳴館を開く。経世の実践者として優れ、西条藩(愛媛県)、人吉藩(熊本県)、紀州藩(和歌山県)、郡山藩(奈良県)など諸藩に招かれる。明和元年(1764)、後の米沢藩(山形県)の藩主上杉治憲(鷹山)の師として迎えられる。安永9年(1780)、尾張藩主徳川宗睦の侍講となり、尾張藩校明倫堂(現・愛知県立明和高等学校)の初代督学となって藩学の振興につとた。また、藩内各地で廻村講話(講演会)を開き庶民教育にも努めた。著書に『詩経古伝』『嚶鳴館遺稿』『詩経夷考』など。

平洲の教えは、吉田松陰、西郷隆盛らにも大きな影響を与えたといわれた。また、内村鑑三は、その著『代表的日本人』で上杉鷹山を取り上げ、その師、細井平洲を「鷹山の師細井[平洲]は、名もない身分から責任ある地位に抜擢された。学者であり、高潔の士でもありました。」と記している。

細井平洲 詩書
詩書
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