浦上春琴
Uragami Shunkin

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作家名
浦上春琴 うらがみ しゅんきん
作品名
詩書
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 象牙軸 大野百錬箱
本紙寸法28.8×129
全体寸法42.7(胴幅)×201 ㎝
註釈

大野百錬
元治元年(1864)~昭和16年(1941)

美濃国大垣に大垣藩士大野十助の二男として生まれる。菱田海オウ、野村藤陰、岩田滝に漢学を学ぶ。明治29年、大垣中学(大垣北高)に勤務。大正8年、同校を退職し書道家に専念する。大正13年、帝国書道院を設立。

【原文】
此時此侶難成嘆 何處何山期再遊
一片離情黄菊酒 西風吹到満湖秋
甲申重陽日登磨針嶺別
性亭山人及方外上人時細香女史亦在坐

【訓読】
此の時、此の侶、嘆を成し難し。 何の處、何の山に再遊を期せん。
一片の離情、黄菊の酒 西風吹き到る、満湖の秋。
甲申の重陽の日、磨針嶺に登りて、
性亭山人及方外上人と別れる。時に細香女史、亦坐に在り。

【語釈】
黄菊の酒―九月九日の重陽の日には、高い所に登り(登高)、菊の花びらを浮かべた酒を飲んで長寿を祈るのが習わしである。
満湖―琵琶湖一面であろう。
甲申―文政7年甲申(1824)。当時、春琴46歳。江馬細香38歳。
磨針嶺―滋賀県彦根市東部、鳥居本にある峠。中山道の難所。
性亭山人―未詳。
方外上人―方外とは僧侶のこと。誰のことか未詳。春琴の友人の僧侶としては雲華上人などが考えられるが、雲華はこの年の重陽を、江戸からの帰途、箱根山で迎えていたと考えられるので(「重九日越箱根山書思」『雲華上人遺稿』143頁下)、対象から外れるだろう。なお、9月22日には、江馬細香は既に上洛していて山陽や雲華と嵐山に遊んでおり、10月1日には、細香・雲華・山陽・春琴らは洛中の砂川に遊んでいる(拙編雲華上人年譜稿参照)。

【訳文】
この節句の日に、この同行の士と一同に会したことは、感嘆し難いほどの歓びだ。
どんな場所の、どんな山に再び一緒に遊ぶことができようか。
会えばまた別れねばならぬこの気持ちを、黄色い菊を浮かべた酒に託そう。
西風が吹きわたり、満面に秋の気配ただよう琵琶湖の風景だ。
文政7年甲申の9月9日、重陽の日、磨針峠に登って、
性亭山人及び方外上人と別れる。その時、江馬細香女史もその場に同席した。