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近代文学、哲学
C-200 夏目漱石

C-200 夏目漱石
Natsume Souseki

 夏目漱石 1
 夏目漱石 2
 夏目漱石 3 夏目漱石 4 夏目漱石 5
 夏目漱石 6
作家名
C-200 夏目漱石 なつめ そうせき
作品名
春の句
価格
550,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 金砂子散短冊 金襴緞子裂 象牙軸
松岡謙題簽並びに高村光太郎箱 二重箱
本紙寸法6×36.1
全体寸法25.3(胴幅)×162㎝
作家略歴

夏目漱石
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松岡譲
明治24年(1891)~昭和44年(1969)

新潟県古志郡石坂村(現長岡市)に生まれる。父は真宗大谷派の僧。大正6年(2007)、東京帝国大学哲学科卒業。在学中、夏目漱石の門下生となり、菊池寛、芥川龍之介、久米正雄らと『新思潮』に参加。大正6年(2007)、『法城を護る人々』を『文章世界』に発表。大正7年(2008)、漱石の長女筆子と結婚。大正10年(1921)、『モナ・リザ』発表。大正12年(1923)、『法城を護る人々』(第一書房)刊行。ベストセラーとなる。作品他に、『敦煌物語』、『漱石先生』、『ああ漱石山房』など。

高村光太郎
明治16年(1883)~昭和31年(1956)

東京府東京市下谷区下谷西町三番地(東京都台東区東上野一丁目)に彫刻家高村光雲の長男として生まれる。本名、光太郎(みつたろう)。東京美術学校在学中に与謝野鉄幹の新詩社同人となり『明星』に短歌、詩などを寄稿。明治39年(1906)、彫刻を学ぶため渡米、さらにロンドン、パリに遊学し、ロダンに深く傾倒する。明治42年(1909)、帰国。大正元年(1912)、岸田劉生らとフュウザン会を結成。大正2年(1913)、詩集『道程』刊行。同年、長沼智恵子と結婚。昭和13年(1938)、智恵子と死別。昭和16年(1941)、詩集『智恵子抄』刊行。昭和20年(1945)4月、空襲によりアトリエとともに多くの彫刻やデッサンが焼失。同年5月、岩手県花巻町(花巻市)に疎開。同年10月、花巻郊外に粗末な小屋を建て、7年間独居自炊の生活を送る。昭和27年(1952)、東京都中野区桃園町(東京都中野区中野三丁目)に転居。翌28年、十和田湖畔に「「乙女の像」完成。

コンディション他

《臣老いぬ白髪を染めて君が春 漱石》
じんおいぬはくはつをそめてきみがはる

本紙、僅かに小折れあり。