棟方志功 
munakata shikou

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棟方志功3
棟方志功4
棟方志功6棟方志功5
棟方志功7
作家名
棟方志功munakata shikou
作品名
雲在嶺頭不徹
作品詳細
扁額 紙本水墨 棟方志功鑑定委員会鑑定登録証付
作品寸法32.7×211.5p
全体寸法43.9×230.5 p
註釈

《雲在嶺頭不徹 水流澗底太忙生》

雲は嶺頭にあって閑不徹(かんふてつ) 水は潤底(かんか)に流れて太忙生(たいぼうせい)

京都大徳寺の開山、大燈国師宗峰妙超が法脈の師と仰ぎ、「破れ虚堂」の墨蹟で名高い南宋末の虚堂智愚の法語『虚堂録』の一節。「退院上堂舉 高亭隔江見コ山 便乃趨而去 後來開法 承嗣コ山 師云 高亭只見錐頭利 不見鑿頭方 當時若過江來 豈止住院 有人會得主丈子 兩手分付 不然 雲在嶺頭閑不徹 水流澗底太忙生 」(退院上堂。舉す。高亭、江を隔てて徳山を見る。すなわち趨して去らば、後来開法、徳山に承嗣す。師云く、高亭ただ錐頭の利きを見るのみにして、鑿頭の方なるを見ず。当時もし江を過ぎ来たらば、豈に住院に止まらんや。人あって主丈子に会い得ば、両手に分付せん。然らず、雲は嶺頭に在って閑不徹、水は澗下を流れて太忙生。)より。

「閑不徹」とは、不動、あるいは、徹底した静けさのこと。「太忙生」とは逆に忙しく動く様をいう。稜線にあって全く動かぬ雲、対して渓流の水は絶えることなく流れている。 動であっても静であり、静であっても動ということか。あるいは、静なら静に徹しろ、動なら動に徹しろということか。