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岡田半江Okada Hankou

天明2年(1782)~弘化3年(1846)

大阪の人。岡田米山人の子。名、粛。字、子羽。別号、子米、無声、寒山、独松楼、寒山外史、墨江老樵など。幼少期より、父から絵を習う。文政年間に相次いで両親を失い、稼業の米屋を継いで米屋彦兵衛を襲名。伊勢国藤堂藩の下役として、大坂蔵屋敷の留守居七里鎌倉兵衛にも仕えたが、天保3年(1832)ごろ職を辞し、家督も子の九茄に譲り、天満橋北に隠居所を構え、本格的に画業に専念する。頼山陽、篠崎小竹、田能村竹田、小石元瑞、大塩平八郎らと交流。

岡田半江 山水図
山水図

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