広瀬花隠 Hirose Kain

安永元年(1772)〜嘉永2年(1849)

広瀬花隠の生涯は、生没も含め不明な点が多い。 名はおそらく長勝。京都高台寺あるいは聖護院前に住む。始め狩野派の師につき、のち三熊思孝に学ぶ。

花隠は、文化15年(1818)、禁中紫宸殿の左近桜を写すことを許され、翌年の文政2年(1819)には院御座所仙洞の廊間桜の写生も認められた。作品はその際に描かれたもの。「文政二歳巳卯三月於 仙洞 勅銘廊間桜 上皇 御覧之後謹拝寫之」とある。

広瀬花隠 廊間桜図
廊間桜図

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