大田垣蓮月 Otagaki Rengetsu

寛政3年(1791)〜明治8年(1875)

実父は伊賀上野の城代家老藤堂新七郎良聖。生後すぐ、京都知恩院の坊官、大田垣伴左衛門光古の養女となる。俗名、誠(のぶ)。7、8歳のころ、丹波亀山松平家に奥詰めとして奉公。文化4年(1807)17歳の時、大田垣家の養子望古と結婚し、一男二女をもうけるが、いずれも夭折。文化14年(1815)、望古と離婚。文政2年(1819)、29歳の時、大田垣家の養子古肥と再婚し一女をもうけるが、四年後夫古肥は病没する。葬儀の後、養父と共に知恩院で剃髪し、蓮月尼を称した。2年後、7歳の娘を失い、さらに天保3年(1832)42歳の時、養父を亡くす。その後は、自作の和歌を書きつけた急須や茶碗などを焼き、やがて名は高まり、「蓮月焼」と呼ばれて人気を博す。岡崎、粟田、大原、北白川などを転々とし、西賀茂の神光院で明治8年12月10日、85歳で没した。

和歌は上田秋成、香川景樹に学び、穂井田忠友、橘曙覧、野村望東尼ら歌人のほか、維新の志士と交流する。富岡鉄斎は、蓮月尼老年の侍童であった。明治元年(1868)、『蓮月高畠式部二女和歌集』が出版され、同4年には近藤芳樹編の家集『海女の刈藻』が刊行された。

大田垣蓮月 和歌
和歌
大田垣蓮月 和歌 ほととぎす
和歌 ほととぎす
大田垣蓮月 和歌(双福)
和歌(双福)
大田垣蓮月 水差し
水差し
大田垣蓮月 和歌
和歌
大田垣蓮月 書簡
書簡
大田垣蓮月、富岡鉄斎 かゝり船 蓮月尼賛
かゝり船 蓮月尼賛
大田垣蓮月、猪口
猪口
大田垣蓮月、富岡鉄斎 春ことに〜 蓮月尼賛
春ことに〜 蓮月尼賛
大田垣蓮月、富岡鉄斎 鉄斎翁墨竹蓮月尼和歌
鉄斎翁墨竹蓮月尼和歌
大田垣蓮月 茄子画賛
茄子画賛
大田垣蓮月 和歌
和歌
大田垣蓮月 秋草画賛
秋草画賛

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