小沢蘆庵 Ozawa Roan

享保8年(1723)〜享和元年(1801)

尾張犬山竹腰家家臣小沢喜八郎実郡の末子として大阪に生まれる。名は玄仲、通称帯刀。号、観荷堂。図南亭。十代の頃、尾張藩京都留守居番本荘家の養子となるが、のち小沢家に復す。三十歳の頃、冷泉為村に入門し和歌を学ぶ。伴蒿蹊、澄月、慈延と共に冷泉門下の平安四天王と呼ばれるが、常上派の流風にあきたらず,真淵らの擬古派をも排して、為村に破門される。歌論「ふるの中道」で「ただごと歌」を主張、当世の平語を用いて自然な感情をあるがままに表出することを説いた。その歌論、歌風は香川景樹、大田垣蓮月ら多くの歌人に強い影響を与えた。歌論「ちりひぢ」「振分髪」、歌集「六帖詠草」、研究書「歌合部類」「類題六帖」「難蔵山集」「古今六義諸説」など。

小沢蘆庵
雪月花

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