副島種臣 Soejima Taneomi

文政8年(1828)〜明治38年(1905)

佐賀藩士枝吉南濠の次男に生まれる。のち、同藩士副島利忠の養嗣子となる。通称二郎。嘉永4年、大隈重信、江藤新平らと尊皇派の結社「楠公義祭同盟」を結成する。元治元年、長崎に開校した藩校致遠舘でアメリカの宣教師フルベッキから洋学を学ぶ。慶応3年、大隈重信と共に脱藩上京するが、まもなく藩吏に捕らえられ国元に送還され、謹慎を命じられる。維新後、明治政府に出仕し政体書起草にかかわる。明治4年、外務卿となり、樺太問題でロシアと交渉。明治5年、中国からの人買い船、ペルーのマリア・ルーズ号の事件を解決。明治6年、征韓論に敗れ、西郷隆盛と共に下野し、清国を歴遊する。以後は再び政府高官を歴任する。明治24年、枢密院議長。維新、明治と活躍した政治家。
近代書の巨人と賞される。号に蒼海代、一々学人。

副島種臣
書額
副島種臣
関帝廟
副島種臣
詩書

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