田中訥言 Tanaka Totsugen

明和4年(1767)〜文政6年(1823)

尾張に生まれたと云われるが確定的ではない。幼少時、比叡山延暦寺で天台宗を学ぶ。途中、京都の石田幽汀に狩野派を学び、還俗後、土佐光貞に入門する。天明8年、二十二歳で法橋位を得る。青年期(四十代前半まで)の拠点は京都と考えられ、関西古社寺所蔵絵巻などの古典を模写、研究に励む。文化6年頃、四十代半から名古屋を拠点とするが、頻繁に京、尾張を往復し、文政元年からは完全に京都に拠点を移す。晩年、眼疾が悪化して失明、自ら舌を噛み自殺したと伝えられる。浮田一惠、冷泉為恭と並ぶ復古大和絵の画家。号に、痴翁、虎頭、晦存、求明など。

田中訥言
菊図

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