村瀬太乙 Murase Taiitsu

享和3年(1803)〜明治14年(1881)

名、外治郎、黎。字、太一。号、梅園、太乙、太乙堂、放屁先生等。美濃上有知村、豪農村瀬周助の次男。幼少期、曹洞宗善応寺晦巌善知に学ぶ。のち村瀬藤城の梅花村舎で学び、文政8年(1825)、23歳のとき、頼山陽の内弟子となる。山陽没後、一時帰郷するが、天保8年(1837)、名古屋長島町に私塾を開く。弘化元年(1844)、犬山成瀬家の私学校、敬道館の教授となり、以後、明治3年(1870)、犬山に隠棲するまで名古屋に住む。飄逸で禅的な独特の画風で知られる。漢詩人、儒者。昭和54年(1979)、ニューオリンズ美術館にて『A JAPANESE ECCENTRIC / THE THREE ARTS OF MURASE TAIITSU』開催される。

村瀬太乙 戯画
戯画
村瀬太乙 詩書
詩書
村瀬太乙 胸中邱壑(きゅうがく)図
胸中邱壑(きゅうがく)図
村瀬太乙 咏松画賛
咏松画賛
村瀬太乙 墨梅図
墨梅図

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