犬養毅(木堂) Inukai Tsuyoshi(Bokudou)

安政2年(1855)〜昭和7年(1932)

備中国庭瀬村川入(岡山市北区川入)に、父、犬養源左衛門、母、嵯峨の次男として生まれる。生家は大庄屋であった。幼名、仙次郎。5歳から父に漢学を学ぶ。10歳頃から、郷里の儒者犬養松窓の三餘塾に通う。明治5年(1872)17歳で小田県庁(岡山県笠岡市)に勤務、この時、「万国公法」に接して洋学の思想に目覚め、明治8年(1875)、洋学を学ぶため上京。湯島の共慣義塾を経て、翌明治9年(1876)、慶應義塾に入学し福沢諭吉の指導を受ける。慶應義塾在学中、「郵便報知新聞」記者として西南戦争に従軍。明治13(1880)、卒業を目前に同塾を退学。東海経済新報記者をへて、立憲改進党創立に参画。大同団結運動で活躍する。明治23年(1890)、第1回総選挙で衆議院議員に当選、以後第18回総選挙まで連続当選。第1次大隈内閣文相、第2次山本内閣逓相をつとめる。大正11年(1922)、革新倶楽部を組織し、大正13年(1924)、加藤高明らと護憲三派内閣を結成、逓相に就任する。昭和4年(1929)立憲政友会総裁。昭和6年(1931)、首相となるが、翌年5・15事件で暗殺される。

犬養毅(木堂) 詩書
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