福沢諭吉 Fukuzawa Yukichi

天保5年(1834)〜明治34年(1901)

大阪玉江橋北詰(大阪市中之島)の中津藩蔵屋敷に生まれる。天保7年(1836)、 父百助が病死し、母子6人、豊前国下毛郡中津中津(大分県中津市)に帰る。安政元年(1854)、蘭学を志して長崎に出る。安政2年(1855)、緒方洪庵の適塾に入門する。安政4(1857)、緒方塾の塾長となる。安政5 (1858)、藩の命令で江戸へ出府。築地鉄砲洲の奥平家中屋敷のなかに蘭学塾「一小家塾」(後の慶應義塾)を開く。万延元年(1860)から慶応3年(1867)にかけて幕府の遣欧米使節に3度参加。明治元(1868)、「一小家塾」の名を慶應義塾に改める。明治以降官職に就かず、位階勲等を受けなかった。『学問のすすめ』(1872)、『文明論之概略』(1875)など多数の著作を発表した。

福沢諭吉 詩書 2
交人如乗馬
福沢諭吉 詩書
詩書
福沢諭吉 公平論出不平人
公平論出不平人
福沢諭吉 自敬身
自敬身
福沢諭吉 巧言令色亦是礼
巧言令色亦是礼
福沢諭吉 戯去戯来自有真
戯去戯来自有真
福沢諭吉 詩書
詩書

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