1.江馬細香 雪中墨竹図 合箱
紙本水墨29.1×97.7
お買い上げ頂きました
2.江馬細香 菊花墨竹図 藤陰箱
絹本水墨33.6×103
お買い上げ頂きました
3.江馬細香 詩書 合箱
紙本水墨28.8×107.7
お買い上げ頂きました
◆江馬細香・1789〜1861 大垣藤江村(藤江町)に、美濃蘭学の祖といわれた大垣藩医江馬蘭斎の長女として生まれる。幼少より書や絵に励み、浦上春琴に南画を学ぶ。梁川星巌、村瀬藤城らと白鴎社を結成。頼山陽を生涯の師と仰ぎ生涯独身を通した。江戸時代の代表的閨秀文人。文久元年に没。
4.梁川星巌 詩書 合箱
紙本水墨29.4×135.5
55.000円
5.梁川星巌 詩書 張氏紅蘭並びに頼潔箱
紙本水墨30.3×132
75.000円
◆梁川星巌・1798〜1858 安八郡曽根村(大垣市)に大垣藩士稲津丈太郎長高の子として生まれる。12歳で両親を失う。幼くして華渓寺太随和尚に句読を受ける。文化4年、19歳で江戸に遊学し山本北山塾に経史、詩文を学ぶ。29歳で帰郷し「梨花村舎」を開く。文政5年から約10年間、妻紅蘭を伴って西日本各地を放浪、頼山陽その他の文士と交流、詩名大いに高まる。天保3年、江戸に出て「玉池吟社」を開く。門 弟には佐久間象山もいた。弘化3年京都に居を移す。嘉永6年、ペリー来航後、吉田松陰、梅田雲濱らとの交流を深め尊皇攘夷運動の中心となる。安政の大獄直前の安政5年、京都にて急死。尊皇家。漢詩人。
6.張氏紅蘭 養蠶篇 古香箱
紙本水墨59.3×129
お買い上げ頂きました
7.張氏紅蘭 墨竹図 角田錦江箱
絹本水墨40×106.5
130.000円
◆張氏紅蘭・1804〜1879 安八郡曽根村(大垣市)に稲津長好の長女として生まれる。14歳のとき、梁川星巌の「梨花村草舎」に入門。17歳のとき梁川星巌と結婚する。文政5年、星巌とともに5年に及ぶ西遊の旅に出る。安政の大獄で投獄。星巌の死後、晩年は私塾をひらいて余生を送る。生涯、星巌を師とし、詩文、画に才覚を発揮した。明治12年に没。
8.高橋杏村 山水図 合箱
紙本水墨26.6×126.8
8.000円
◆高橋杏村・1804〜1868 安八郡神戸村(神戸町)に生まれる。画を中林竹洞、詩を梁川星巌に学ぶ。私塾「鉄鼎学舎」を開き多くの門 人を持つ。江戸後期美濃を代表する南画家。明治元年に没。
9.山田訥斎 武陵桃源図 毛利梅友箱
絹本彩色43.9×124
120.000円
◆山田訥斎・1814〜1873 羽栗郡笠松(笠松町)に薬種商山田国春の子として生まれる。始め笠松の広瀬春樵に学ぶが後に山本梅逸に入門し高弟となる。勤王家でもあり、梁川星巌、頼三樹らと親交があった。南画家。明治6年に没。
10.村瀬雪峡 雪中三顧図 合箱
絹本淡彩51.7×146.2
85.000円
11.村瀬雪峡 山水図 合箱
絹本水墨50.3×144.5
65.000円
◆村瀬雪峡・1830〜1879 美濃上有知村(美濃市)に生まれる。村瀬秋水の長男。秋水より画を、伯父村瀬籐城、佐藤一斎から詩文を学ぶ。南画家。明治12年に没。
12.村瀬秋水 村瀬雪峡 合作
梅菊芝三友図 合箱
紙本水墨30.7×128
12.000円
14.村瀬秋水 墨竹図 合箱
紙本水墨67.5×130
45.000円
15.村瀬秋水 山水図 合箱
紙本水墨59.5×131
25.000円
16.村瀬秋水 山水図 合箱
紙本水墨53.6×139.3
25.000円
17.村瀬秋水 山水図 合箱
絹本水墨48.7×130.5
お買い上げ頂きました
18.村瀬秋水 雪景山水図 合箱
紙本水墨35.5×136.2
お買い上げ頂きました
19.村瀬秋水 山水図 合箱
絹本水墨29.1×130.5
18.000円
◆村瀬秋水・1795〜1867 武儀郡上有知村(美濃市)の庄屋、村瀬敬忠の三男として生まれる。村瀬藤城(長男)、立斎(二男)は兄。 幼少のころ、名古屋の張月樵に学ぶが、画家を志すことを許されず藤城を助け家業に従事する。30歳のとき野呂介石に入門終生師と仰ぐ。藤城死後、分家して山中に隠棲、20年間郷里を出ず、画業に専念。江戸後期美濃を代表する南画家。明治9年に没。
20.村瀬太乙 詩書 合箱
絹本水墨28.5×127
お買い上げ頂きました
21.村瀬太乙 墨梅図 合箱
絹本水墨30.6×136
65.000円
22.奥村石蘭 村瀬太乙賛
月下花影婆娑図 合箱
紙本淡彩31×130
お買い上げ頂きました
◆村瀬太乙・1803〜1881 美濃上有知村(美濃市)に生まれる。村瀬籐城、頼山陽に詩文を学ぶ。犬山藩儒を務める。奇人として知られ、世塵を脱した気風と、禅画にも似た独特な画風は異才を放つ。儒者。明治14年に没。
◆奥村石蘭・1834〜1897 尾張の人。野村五渓に四条派を学び、京都に出て横山清暉に学ぶ。のち名古屋に戻り、葦原眉山と同好社を設立。名古屋画壇の重鎮。明治28年に歿。