B-079 中林竹渓、河野鉄兜
Nakabayashi Chikkei,Kouno Tetto(Tettou)








- 作家名
- B-079 中林竹渓、河野鉄兜
なかばやし ちっけい、こうの てっとう - 作品名
- 芳野懐古 桜図
- 価格
- 130.000円
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本淡彩 緞子裂 合箱
作品寸法28.6×123.5p
全体寸法36.1×193p - 作家略歴
中林竹渓
文化13年(1816)〜慶応3年(1867)中林竹洞の長子。名、成業。字、紹父。通称、金吾。別号、臥河居士。父竹洞、山本梅逸に画を学び、25才の時京都に家門を開く。狷介不羈(けんかいふき)な性格がわざわいし、秀でた画才を持ちながら、充分に開花せず終わったといわれる。
中林竹溪の生涯を詳しく紹介した文献が見あたりませんが、その気品高い作風と、洗練された技巧は、生半可の修練では到底成し得ないもので、父竹洞が、狷介不羈な性格を心配し山本梅逸に托したと伝えられる逸話が、中林竹溪の実像を窺えるものなのか、真の中林竹溪とはどんな人物であったのか、興味のあるところです。
河野鉄兜
文政八年(1825)〜慶応三年(1867)播磨国網干垣内村(兵庫県姫路市網干)に医師三省の第3子として生まれる。名、維羆。字、夢吉。通称、絢夫。別号、秀野。初め丸亀藩儒吉田鶴仙に、のち梁川星巌に学ぶ。幼少より儒学、国学、漢詩、和歌に秀で、15歳のときに一夜にして詩100篇を作って神童と呼ばれた。弘化2年、21才のとき、揖保郡伊津村で医業を開く。嘉永4年、林田藩9代藩主建部政和の招きにより藩校敬業館の教授を務める。医者、儒学者。
- コンディション他
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芳野懐古については、 こちら » を参照ください。
桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。
花びらの他には何も描かれてはいませんが、その空気の揺らめきまでが見事に表現されているようです。本居宣長が《敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花》と詠ったように桜は大和心を象徴し、画面には、河野鉄兜が芳野懐古の詩を賛じています。私は勤王の士ではありませんので、これ以上、言葉を弄する必要はないでしょう。
本紙に多少折れがありますが、表具の調子も良く、何卒このままでご鑑賞ください。
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