良寛Ryoukan

宝暦8年(1758)~天保2年(1831)

越後出雲崎(新潟県出雲崎町)の名主兼神職の橘屋山本左門泰雄の長男として生まれる。母は佐渡相川山本庄兵衛の娘。幼名栄蔵。明和7年(1770)13歳、この頃、大森子陽の塾で儒学を学ぶ。安永元年(1772)15歳、元服し、文孝と名のる。安永4年(1775)18歳、家督を継ぐが、突如、隣町尼瀬町曹洞宗光照寺の玄乗破了和尚に参じ、良寛と名のり大愚と号した。安永8年(1779) 22歳、備中国玉島(岡山県倉敷市)円通寺の大忍国仙に随行。寛政8年(1796)頃、帰郷する。その後は、故郷周辺を転々とし、多くの詩と歌を残す。

良寛 有願 寒山拾得
寒山拾得
良寛 長歌 わがいほは
長歌 わがいほは
良寛 詩書
詩書
良寛 良寛和尚七絶
良寛和尚七絶
良寛 しらつゆに
しらつゆに
良寛 和歌
和歌

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