岐阜 郷土の先人遺墨展目録 4

平成20年2月9日(土)〜2月15日(金)
総作品数193点中  61〜811 2 3 4 5 6 7 8 9 10

61.本庄道美 書 合箱

本庄道美 書

紙本水墨67×28

◆本庄道美・高富藩第10代藩主。

62.松平定敬 一行書 合箱

松平定敬 一行書

紙本水墨30.6×113.8

◆松平定敬・1846〜1908 高須藩江戸邸で生まれる。松平義建の子。安政6年、桑名藩主松平家の養子となり桑名藩主となる。桑名藩主松平家の養子。元治元年、京都所司代。明治41年に没。

63.松平義怒 二行書 合箱

松平義怒 二行書

紙本水墨59×134

64.松平義怒 書 額装

松平義怒 書

紙本水墨51.2×25

◆松平義怒・1824〜1883 江戸に生れる。美濃高須藩主松平義建の二男。初名、義恕。字、君恪。号は初め盛斎、後月堂。嘉永2年、尾張藩14代藩主になる。反井伊の尊皇攘夷派で安政の大獄で隠居謹慎となり異母弟の茂徳に藩主の座を譲るが、井伊暗殺後復権し、子の義宣を十六代藩主に据えて藩政の実権を握った。藩内佐幕派を一掃(青松葉事件)し倒幕の一端を担う。明治3年、名古屋藩知事。明治16年に没。

65.坪内逍遙 沙翁劇朗読(逍遙肉声)
ハムレット、ベニスの商人
コロムビア・レコード

坪内逍遙 沙翁劇朗読(逍遙肉声)
◆坪内逍遙・1859〜1935 加茂郡太田宿(美濃加茂市太田)に代官手代坪内平右衛門の子(10人兄弟の末子)として生まれた。幼名、勇 蔵。東京大学政治経済科を卒業。明治17年、東京専門学校(後の早稲田大学)の講師(後に教授)となる。翌明治18年、「当世書生気質」「小説神髄」を立て続けに発表し日本近代小説の先駆者となる。明治24年、「早稲田文学」を創刊、明治39年、文芸協会の創立、明治42年、演芸協会の設立、昭和3年、私費を投じて、演劇博物館(早稲田大学内)を建設するなど文化の向上に尽力。シェイクスピア研究の第一人者。文学者。昭和10年に没。

66.棚橋絢子 松図 金継紙 色紙 合箱

棚橋絢子 松図

紙本水墨23.8×26.7

◆棚橋絢子・1839〜1939 大阪に生まれる。19歳の時に山県郡伊自良郷松尾村、当時失明の学者であった棚橋大作のもとに嫁ぐ。棚 橋家没落で辛苦の生活を送るが、その後、東京女子学校校長となる。明治婦人会の指導者。昭和14年に101歳で没。

67.下田歌子 和歌 金砂子打曇入り
短冊 額装

下田歌子 和歌

紙本水墨6×36.4

68.下田歌子 和歌 金砂子下絵入り
短冊 額装

下田歌子 和歌

紙本水墨6×36.4

◆下田歌子・1854〜1936 岩村藩士平尾家の長女として岩村町に生まれる。本名は平尾銘(せき)。幼少より和歌、漢詩を学ぶ。明治5年、宮内省に出仕し同年昭憲皇太后から歌子の名を賜る。女子教育の振興に尽力。実践女子大学の創始者。歌人。昭和11年に没。

69.武藤山治 瀑布 共箱

武藤山治 瀑布

紙本水墨21.3×133

70.武藤山治 二行書 紙箱

武藤山治 二行書

紙本水墨45.9×134

◆武藤山治・1867〜1934 安八郡今尾村(平田町)に生まれる。明治17年、慶應義塾卒。明治26年、三井銀行入社。明治32年、鐘紡紡績支配人に就任。倒産寸前の鐘淵紡績で工場の近代化や従業員の福祉向上を図り、後に「鐘紡中興の租」と称賛された。大正13年、衆議院議となり政財界の革新に尽力。昭和7年、政界引退、時事新報社相談役に就任。帝人事件進展のさなか凶弾に倒れる。昭和9年に没。

71.牧野英一 折々の歌 四幅対 共箱

牧野英一

紙本水墨16.8×134

◆牧野英一・1878〜1970 大野郡高山町向町(高山市本町一丁目)に生まれる。明治33年、東京帝国大学フランス法科に入学。同36年、首席で卒業。明治39年、法学部助教授。明治43年、ヨーロッパ留学。大正2年、同学教授。昭和11年、帝国学士院会員。昭和13年、東京帝国大学退官、名誉教授。昭和21年、貴族院議員に選ばれ、新憲法の審議に携わる。非近代的な応報主義刑法を排し、「犯人の矯正を以て刑罰の目的を解す」とし、近代日本刑法の発展に大きく寄与した。佐々木信綱門下の歌人としても知られ、「あかしや」「海を渡りて 野を渡りて」などの歌集がある。昭和25年、文化勲章受章。高山市名誉市民第一号。主著に「日本刑法」「刑法研究」など。昭和45年に没。

72.牧野良三 和歌 合箱

牧野良三 和歌

紙本水墨47.6×43.5

◆牧野良三・1885〜1961 大野郡高山町向町(高山市本町一丁目)に生まれる。牧野英一は兄。明治44年、東京帝国大学法科大学独 法科卒業、逓信省に入省する。大正9年、政友会公認で衆議院議員初当選。戦前は立憲政友会に所属し、自由主義の立場から昭和14年、政友会の分裂に際し久原房之助や鳩山一郎と正統派に所属し、反軍演説による斎藤隆夫の除名に反対票を投じた。昭和17年、翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選。これにより戦後は公職追放を受ける。昭和29年、『競争入札と談合』で法学博士号を取得。昭和30年、法務大臣就任。自由党、日本民主党、自由民主党の顧問を歴任。高山市名誉市民。昭和36年に没。

73.雪潭紹璞 達磨画賛 合箱

雪潭紹璞 達磨画賛

紙本水墨27.2×62.1

◆雪潭紹璞・1801〜1873 紀伊高池(和歌山県東牟婁郡古座川町高池)に生まれる。12歳で紀伊の大泰寺に入り、後、来濃し美濃郡上八幡の慈恩寺、美濃加治田の竜福寺で修行する。一時、紀伊に戻り大泰寺の住寺となるが再び来濃し加納の天沢庵をへて、弘化4年(1847)、妙心寺の命により美濃伊深の正眼寺に入寺して僧堂を開単、「宗規厳峻、宗風、大いに振るう」(『近世禅林僧宝伝』)とされ、天下の鬼叢林正眼僧堂の源はここに発する。「雷雪潭」の異名を持つ臨済宗の名僧。明治6年に遷化。

74.梶浦逸外 福寿海無量 紙箱

梶浦逸外 福寿海無量

紙本水墨94×31.7

◆梶浦逸外・1896〜1981 名古屋市に生まれる。12歳のとき京都選仏寺で得度。大徳寺昭隠老師のもとで修行。花園大学学長、美濃伊深正眼寺住職。昭和43年から昭和53年まで妙心寺管長。昭和56年、遷化。

75.川島昭陰 喫茶去 合箱

川島昭陰 喫茶去

絹本水墨55.5×27

76.川島昭陰 趙州是什麼 合箱

川島昭陰 趙州是什麼

紙本水墨19.5x101

◆川島昭陰・1865〜1924大正13年(1924) 岐阜県稲葉郡に生まれる。号を槐安軒。11歳の時、岐阜の開善院(岐阜市寺町)、則門和尚の弟子となる。15歳で美濃加茂伊深の正眼寺に掛塔し、始めは泰龍に参じたが、やがてその法嗣大義祖勤に参じ、又禅外道倫にも参じた。明治26年、清泰寺に住職する。その翌年大義は遷化する。明治31年、天龍寺の峨山に参じたが、明治33年、峨山の遷化に逢い、一旦清泰寺に帰るが、翌年、南宗寺の蜻州守拙に参じ遂にその印可を得た。しかし法は大義を嗣いでいる。明治40年、大徳寺僧堂家となり、大正8年、正眼寺僧堂に移った。その時雲衲五十余人が師に従ったという。大正13年に遷化。

77.後藤瑞巌 無事 共箱

後藤瑞巌 無事

紙本水墨22.2×87.8

◆後藤瑞巌・1879〜1965 大垣に生まれる。僧名、瑞巌宗碩。蔭凉軒と号す。荒尾の円成寺全識について得度。東京帝国大学在学中、釈宗活に参じ、大正3年、宗活の印記を受けて朝鮮に渡り、京城妙心寺別院を創立し住職となる。昭和4年、円成寺住職、同6年、妙心寺山内東海庵住職、昭和9年、臨済宗大学学長に就任。昭和21年、妙心寺六百十五世管長、さらに同22年から26年まで大徳寺五百三世管長を歴任。大珠院に隠棲。昭和40年に遷化。

78.南条文雄 詩書 紙箱

紙本水墨45.3×136

◆南条文雄・1849〜1927 大垣船町に誓運寺住職溪毛芥の三男として生まれる。梵語学を研究、「大明三蔵聖教目録」を編纂。大谷大学学長。仏教学者。昭和2年に没。

79.久松真一 短冊 老倒無事 額装

久松真一 短冊

紙本水墨6×36.4

◆久松真一・1886〜1980 岐阜市長良に生まれる。大正元年、京都帝国大学文化大学哲学科入学。西田幾太郎に師事。同校卒業後、妙心寺山内春光院の一隅に住し、禅の修業に励みながら「覚の哲学」と言われる独自の思想、哲学を築く。臨済宗大学(現花園大学)、龍谷大学、京都帝国大学などで教授を務め、昭和32年、ロックフェラー財団の援助を受けて渡米、ハーバード大学神学部客員教授として「禅と禅文化」の講義をする。その翌年、米国からヨーロッパへと渡りマルセル、ハイデッガー、ユングなど哲学者、思想家と交流し講演会を催し東洋の哲学、文化の紹介に努めた。著書に「絶対主体道」「東洋的無」「禅と美術」「久松真一著作集全八巻」など。仏教哲学者。思想家。昭和50年に没。

80.大野百錬 詩書 秋渓偶詩
大野国彦箱

大野百錬 詩書 秋渓偶詩

紙本水墨32.3×136.5

81.大野百錬 詩書 紙箱

大野百錬 詩書

紙本水墨33.3×137

◆大野百錬・1864〜1941 大垣に大垣藩士大野十助の二男として生まれる。菱田海?、野村藤陰、岩田滝に漢学を学ぶ。明治29年、大垣中学(大垣北高)に勤務。大正8年、同校を退職し書道家に専念する。大正13年、帝国書道院を設立。日本書道界の重鎮。昭和16年に没。
ら行
わ行