岐阜 郷土の先人遺墨展目録 5

平成21年1月10日(土)〜1月15日(木)
総作品数197点中  82〜101 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

82.郷純造 松図 合箱

郷純造 松図 合箱

絹本水墨40.7×124.3

◆郷純造・1825〜1910 方々郡黒野村(岐阜市黒野)に生まれる。幼少に父を失うが、苦学し、同村の大野理忠太に剣術を、隣村御望の郷余斎に漢学を学ぶ。天保15年、19歳で江戸へ出て増上寺の仲間となり、次に幕府外国奉行堀織部正の用人、次に、同心株を買い取って大番格工兵差図役となる。明治維新後大蔵省に出仕し、大蔵次官まで昇進する。明治24年、貴族院議員となる。次男は日本商工会議所会頭、日経連会長を務めた郷誠之助。郷土へ多くの土地を寄付するなど篤志家としても知られる。明治43年に没。

83.大橋翠邦(翠峰)猛虎図 合箱

大橋翠邦(翠峰)猛虎図

絹本彩色50.5×49.2

◆大橋翠邦・名、研一。大阪府河内長野市汐ノ宮の人。大橋翠石の弟子。翠石の長男英夫の妻の父。

84.佐藤翠渓 月下猛虎図 合箱

佐藤翠渓 月下猛虎図

絹本彩色41.3×117.7

◆佐藤翠渓・1884〜1926 大垣市に生まれ、岐阜市春日町に住む。山田松渓、小森呉橋門下。大橋翠石に私淑。昭和15年に没。

85.高木美石 狸図 合箱

高木美石 狸図

絹本彩色42×125

86.高木美石 金魚図 合箱

高木美石 金魚図

絹本水墨26.5×122

◆高木美石・1886〜1947 養老郡多良村(上石津町)に生まれる。大橋翠石に私淑し独学で日本画を学ぶ。昭和22年に没。

87.加納鉄哉 茶盆 合箱

加納鉄哉 茶盆

88.加納鉄哉 菜図 扇子 共箱

加納鉄哉 菜図 扇子

紙本淡彩

89.加納鉄哉 恵比寿図 合箱

加納鉄哉 恵比寿図

紙本淡彩51.0×37.7

90.加納鉄哉 布袋図 合箱

加納鉄哉 布袋図

紙本水墨51.8×37.5

91.加納鉄哉 漁樵問答図
書翰3通付き 合箱

加納鉄哉 漁樵問答図

紙本彩色35.5×131.3

92.加納鉄哉 最勝精舎図 合箱

加納鉄哉 最勝精舎図

紙本彩色27.7×115

93.加納鉄哉 石黒忠悳賛
老子騎牛図 合箱

加納鉄哉 石黒忠悳賛

紙本淡彩30.2×170.8

◆加納鉄哉・1845〜1925 厚見郡岐阜本町(岐阜市)に生まれる。本名光太郎。少年時代、父より南画や彫刻の技法を学んだ。安政5年、長良の崇幅寺に入る。文久3年、伊深の正眼寺に転じ雪澤紹璞に師事。明治元年還俗し、以後七年間諸国を漫遊しながら、絵画、彫刻、鉄筆の研鑽に励む。明治7年、東京に出て彫刻を本業とした。明治14年、第二回内国勧業博覧会で妙技賞牌三等受賞。明治21年、東京美 術学校設立に際し教授に任命されるが、翌年自ら学校を退く。晩年奈良に住み、「最勝精舎」を設け、正倉院、法隆寺の宝物の模刻など制作に 没頭する。鉄哉は早くから日本の古美術に造詣を持ち、フェノロサ、岡倉天心らの古美術保護活動にも貢献した。大正14年に没。
◆石黒忠悳・1845〜1941 福島県梁川に生まれる。幼名、庸太郎のち恒太郎。号、況斎、況翁。万延元年、伯母の嫁ぎ先(新潟県三島 郡片貝村)の石黒家の養子となり、家督を相続。文久元年、漢学塾を開設。慶応元年、幕府の医学所(後の大学東校、現在の東京大学医学部)に入学。明治4年、兵部省軍医寮に入り軍医となる。佐賀の乱、西南戦争に従軍後、陸軍省医務局長、陸軍軍医中将などを経て、明治23年、陸軍軍医総監となる。明治35年、貴族院議員。大正6年、日本赤十字社長。従一位勲一等旭日大綬章。医学博士。草創期の軍医制度を確立に尽力した。昭和16年に没。

94.水野柳人 鮎 共箱

水野柳人 鮎

紙本淡彩21.2×131

95.水野柳人 登り鮎 共箱 二重箱入

水野柳人 登り鮎

絹本淡彩50.6×45.3

96.水野柳人 香魚 共箱

水野柳人 香魚

絹本淡彩50.6×40.1

97.水野柳人 遊鮎 合箱

水野柳人 遊鮎

紙本淡彩46×38.8

98.水野柳人 遊影香魚 共箱

水野柳人 遊影香魚

紙本淡彩46×40.5

99.水野柳人 水無月 水野隆箱

水野柳人 水無月

紙本淡彩52.3×40.4

100.水野柳人 水踊る 共箱 二重箱入

水野柳人 水踊る

絹本淡彩50.5×44

101.水野柳人 蛍画賛 合箱

水野柳人 蛍画賛

紙本彩色43×27

◆水野柳人・1873〜1959  郡上八幡町に生まれる。鮎の柳人として知られる。商家出身の旦那衆で、絵画のほかに俳句を嗜み、茶の湯に精通した風流人。谷崎潤一郎、柳宗悦、菊池寛、大仏次郎ら多くの文人墨客と交わる。昭和34年に没。