岐阜 郷土の先人遺墨展目録 8

平成21年1月10日(土)〜1月15日(木)
総作品数197点中  142〜160 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

142.堀暁中 高砂図 合箱

堀暁中 高砂図

紙本淡彩47.2×128

◆野原桜州・1886〜1933  揖斐川町三輪に金物屋「江戸屋」を営む野原佐助の長男として生まれる。本名安司。明治38年、東京美術学校に入学し首席で卒業する。寺崎広業に師事。大正5年、第10回文展に初入選。薔薇の桜州として知られる。昭和8年に没。

143.池田虹影 紅梅と小禽図 合箱

池田虹影 紅梅と小禽図

絹本彩色41.8×130

144.池田虹影 紅梅と小禽図 合箱

池田虹影 紅梅と小禽図

絹本彩色36.5×31.5

145.池田虹影 南天 合箱

池田虹影 南天

紙本淡彩54.3×30.8

◆池田虹影・1892〜1956 郡上八幡町(郡上市)に生まれる。旧姓橋本晴治郎。竹内栖鳳門下。文展、帝展で活躍。日本画家。昭和31年に没。

146.宇野嶺城 薔薇図 合箱

宇野嶺城 薔薇図

絹本彩色33.2×142

147.宇野嶺城 薔薇図 合箱

宇野嶺城 薔薇図

絹本彩色50×39

148.宇野嶺城 鶴図 合箱

宇野嶺城 鶴図

紙本彩色49.7×35.7

◆宇野嶺城・1885〜?  山県郡大桑(山県市)の人。本名、泰吉。岐阜商業高等学校の美術教師を務める。

149.虫賀六腑 山水図 合箱

虫賀六腑 山水図

紙本彩色41.3×153

150.虫賀六腑 雀とエンドウ図 紙箱

虫賀六腑 雀とエンドウ図

紙本彩色33.6×135

151.虫賀六腑 蓮池游魚 共箱

山本友左坊 句切「古池や〜」

紙本水墨45.5×139.2

152.虫賀六腑 瓢箪図 紙箱

虫賀六腑 瓢箪図

紙本彩色33.3 ×128.5

追加分の 203.虫賀六腑はこちら »

◆虫賀六腑・1892〜? 羽島市正木に生まれる。呉昌碩に私淑。清画を独学で学ぶ。医師。

153.河村目呂二 アケビ画賛 合箱

河村目呂二 アケビ画賛

紙本淡彩29.4×129.2

◆河村目呂二・1886〜1959 本名、弘。別号、竜興、猫珍奇林、女弄寺、木通庵。目呂二の名は音楽のメロディと敬愛する竹久夢二 をもじってつけたという。岐阜県揖斐郡宮地村(池田町)に生まれる。大阪医科専門学校を中退、大正3年、東京美術学校彫塑科卒業。大正 4年、レート化粧品本舗図案部に入社。雑誌の挿絵や随筆、当世風俗情緒を表現した目呂二人形の制作を始める。大正15年、銀座松屋で猫 うちわ展開催。昭和12年、第1回文展無審査。彫刻家としての活動の他、無類の愛猫家で猫を題材にしたユーモラスな随筆や俳画などを多 く描いた。また、版画家の武井武雄と自転車愛好家集団「ジャズマニアグループ」を結成し「東海道飛車栗毛」と称して自転車での画行脚を 敢行したり、「上野人物園」と称した奇妙な出で立ちのパフォーマンスなど、奇想天外の自由人でもあった。昭和34年に没。

154.田中比左良 待月 合箱
田中比左良画集(講談社)所載

田中比左良 待月

紙本彩色23.1×26.2

155.田中比左良 美人図 合箱

田中比左良 美人図

紙本彩色33×132.2

◆田中比左良・1890〜1974  可児郡御嵩町に生まれる。郷土の南画家、松浦天竜に学ぶ。郵便局勤務の後、主婦の友社に入社、挿絵を 担当する。フリーとなり装丁、挿絵作家として活躍。独自でユーモラスな美人画の世界を築く。漫画家。昭和49年に没。

156.矢橋六郎 ベニスの船着き場
水彩 共シール 額装

矢橋六郎 ベニスの船着き場

紙本彩色24.3×17

157.矢橋六郎 ベニス・サンサルーテ
水彩 共シール 額装

矢橋六郎 ベニス・サンサルーテ

紙本彩色40×32.3

158.矢橋六郎 珠江 水彩 共シール 額装

佐脇波登麿 松図

紙本彩色40×32

◆矢橋六郎・1905〜1988  大垣市赤坂町に生まれる。昭和元年、東京美術学校西洋画科入学、在学中に川島理一郎の「金曜会」に参加。同校卒業後渡欧。昭和8年帰国後、国画会会員となるが、山口薫、村井正誠らと「新時代」結成。自由美術協会、モダンアート美術協会の創立に参加。武蔵野美術大学、東京美術大学講師。洋画家。昭和46年に没。

159.長原孝太郎 短冊掛 共箱

梶浦逸外 福寿海無量

紙本彩色(全体寸法)29.3×149

160.長原孝太郎 アケビ図 合箱

梶浦逸外 福寿海無量

紙本彩色46.5×16

◆長原孝太郎1864〜1930  垂井町に生まれる。明治10年、東京神田共立学校に入学。明治16年、小山正太郎の不同舎には入り洋画を学ぶ。明治28年、黒田清輝に指導を受ける。明治29年、白馬会展に出品。大正5年、東京美術学校教授となる。帝展審査員。日本近代 洋画黎明期を代表する洋画家の一人。昭和5年に没。