岐阜 郷土の先人遺墨展目録 2

平成21年12月11日(金)〜12月16日(水)
総作品数211点中  23〜401 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

23.蓑虫山人 太公望図 合箱

蓑虫山人 太公望図

紙本淡彩66.3×122.5

お買い上げ頂きました

24.蓑虫山人 飛騨篭渡図 合箱

蓑虫山人 飛騨篭渡図

紙本淡彩41×114

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25.蓑虫山人 鏡餅図 扇面 合箱

蓑虫山人 鏡餅図

紙本淡彩46×14.8

28.000円

◆蓑虫山人・1836〜1900 安八郡結村(安八町)に土岐武平の子として生まれる。14歳のとき、母の死を契機として諸国流浪、旅絵師として生涯を送る。また、旅の途中、亀ヶ岡遺跡の発掘調査を手がけるなどし、考古学の発展に寄与する。明治33年に没。

26.喜田華堂 瀑布図 合箱

喜田華堂 瀑布図

絹本淡彩35.4×101.2

25.000円

27.喜田華堂 夏山瀑布図 石河有リン箱

喜田華堂 夏山瀑布図

紙本淡彩47.7×137.5

28.000円

◆喜田華堂・1802〜1897 不破郡今須(関ヶ原町)に生まれる。京都に出て、岸駒、岸良に学ぶ。岸派の画家として認められる。後年、名古屋にあって、尾張藩の御用絵師を勤める。明治12年に没。

28.小原鉄心 墨梅と詩書 双幅 合箱

小原鉄心 墨梅と詩書

紙本水墨12.4×145.2

180.000円

29.小原鉄心 詩書 合箱

小原鉄心 詩書

紙本水墨35.5×134

18.000円

◆小原鉄心・1817〜1872 大垣に生まれる。大垣藩の重臣。藩政の改革。大垣藩を尊皇に導く。明治5年に没。

31.成木星洲 山水図 紙箱

成木星洲 山水図

紙本水墨34×147

12.000円

32.成木星洲 山水図 合箱

成木星洲 山水図

紙本水墨42×128.5

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◆成木星洲・1863〜1935 恵那郡中津川村中村(中津川市)に、素封家成木来助の長男として生まれる。明治13年に京都に出て、田能村直入に入門、南画を学ぶ。また漢詩を林雙橋に、和歌を市岡殷政に学ぶ。明治39年、名古屋に移住。昭和10年に没。

33.村瀬藤城 詩書(観雪) 合箱

村瀬藤城 詩書(観雪)

紙本水墨29×135

50.000円

34.村瀬藤城 詩書 合箱

村瀬藤城 詩書

紙本水墨58×132

25.000円

35.村瀬藤城賛 小島老鉄画 松図 合箱

村瀬藤城賛 小島老鉄画 松図 合箱

紙本水墨27.8×131.8

18.000円

◆村瀬藤城・1791〜1853 美濃上有知村(美濃市)に生まれる。梅花村舎を開き美濃一円に門弟数百人を持つ。頼山陽とは盟友。美濃文壇の重鎮。経世家。嘉永6年に没。
◆小島老鉄・1793〜1852 名古屋に生まれる。父は知多郡松原村(知多市新舞子)の人。はじめ吉川一渓に狩野派を学び、のち山本梅逸に師事。江戸後期、尾張を代表する南画家の一人。嘉永5年に没。

36.後藤松陰 詩書 合箱

後藤松陰 詩書

紙本水墨39.5×130

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◆後藤松蔭・1797〜1864 安八郡森部村(安八町)に医師後藤玄中の二男として生まれる。大垣の菱田毅斎、京の頼山陽に学ぶ。文政3年詩文の名声高く大阪に塾を開く。儒者。明治元年に没。

37.野村藤陰 詩書 紙箱

野村藤陰 詩書

紙本水墨30.6×139.3

8.000円

◆野村藤陰・1827〜1899 大垣に生まれる。初め江馬細香に書を学び、15歳で藩校致道館に入る。3年後には藩校の助教に登用される。大阪に遊学し後藤松陰、斉藤拙堂に学ぶ。大垣藩儒。儒者。多くの子弟を持つ。明治32年に没。

38.広瀬惟然 短冊「みしか夜や〜」 合箱

広瀬惟然 短冊「みしか夜や〜」

紙本水墨5.8×36

250.000円

◆広瀬惟然・1648〜1711 武儀郡関村(関市)に生まれる。少年の頃名古屋の富豪の養子となるが、家業傾き妻子を捨て関に隠遁。40歳で芭蕉に入門する。芭蕉没後、芭蕉の遺句と念仏を「古池やかはず飛びこむみずの音、なんもうだ」のように踊りなが誦して、各地を行脚した。正徳元年に没。

39.各務支考 書簡 合箱

各務支考 書簡

紙本水墨(台紙寸法)23×92.4

130.000円

40.各務支考 廬元坊 五竹坊 俳句 合表装 合箱

各務支考 廬元坊 五竹坊 俳句

紙本水墨(台紙寸法)30.8×40.8

95.000円

◆各務支考・1665〜1731 山県郡北野(岐阜市北野)に生まれる。5歳で父と死別し同じ北野村の大智寺に入り僧籍となる。播磨の盤桂和尚に参禅するも十九歳で還俗、宇治山田に隠遁、医を業にする傍ら、岩田凉菟に俳諧を学ぶ。元禄3年、内藤丈草、乙州と同道し近江膳所の無名庵に芭蕉を訪ねる。元禄4年、芭蕉に従って江戸へ下る。翌5年、東北松島の旅に出、「葛の松原」を著す。芭蕉没後、蕉風俳諧を広め、俳諧論を説きながら、広範囲に活動し、師の追悼事業も大々的に行う。その後、芭蕉の後継者として、美濃を中心に多くの門人を擁し、獅子門美濃派と呼ばれる一大俳諧勢力を築く。享保16年に没。